(緊張します。。。)
飛田先生とは、
一言でいうと「野球道」という考え方を日本に根付かせた第一人者。
「野球道の父」です。
「ニッポン野球の青春(大修館書店)」より、飛田先生に関する記述を抜粋します。
『日本の野球は単なる趣味娯楽を超越して、魂を吹き込んだ修養の野球でなくてはならない。よってその目的や本分は試合場ではなく練習場にのみ存在し、自ら難行苦行の鍛錬に臨むことにある。その鍛錬は苦痛であり、虐待でもあるが、絶えざる血涙と汗水が野球に必要な純粋な魂を生む。選手にはチャンスにもピンチにも動ぜず、平常心で立ち向かえる不動の精神力と技術の向上、そして何よりも勝たねばならぬということを前提として、命を賭けた死の猛練習をする必要がある。練習は選手完成の基本であり、練習のない野球は成り立たない。それは技術の上ばかりでなく、精神力を養う上においても練習の持つ力は最大最強なのである。そして相手に勝たんとすれば、尋常一様の努力では足りず、相手を凌駕するに足る二倍三倍の練習をしておかねばならない。』
「本分は練習場にのみ存在」
「難行苦行の鍛錬」
「血涙」
「命を賭けた死の猛練習」
「二倍三倍の練習」
程度こそ大違いですが、飛田先生の考えは、いまだ現代の野球界に根強く受け継がれていると感じます(私もその中で育ってきた中のひとりですネ)。
アメリカ遠征ではこんなことがあったそうです。飛田監督がピッチャーに5連投をさせ、肩を壊したピッチャーが「勘弁してください」と苦痛を訴えると、「死ぬまでやるのが早稲田の選手だ。お前はまだ早稲田野球部の精神を分かっていない。何しにアメリカへ来たのだ。日本へ帰れ!」と罵倒したのだとか。現代の球数制限や投手分業制を知ったら飛田先生はどう思われるのだろう。。。
千本ノックの生みの親も飛田先生。「ベースボールを楽しむのだと寝言を言う選手に名人上手ができあがるはずがない。野球選手は苦しんでこそ、その選手生活に意義が生じ、精神修養も完成される。シミタレたヘタクソな野球なら、やらぬほうがましである」と言い、選手がぶっ倒れ、口から泡を吐くまで酷烈なノックを浴びせていたとのこと。
飛田先生が監督をされていた大正初期は、すでに早慶戦が大人気カードとなっていて、全国民が釘付けになっていたと聞きます。そして監督勇退後は、高校野球や六大学野球の戦評などを新聞上で展開されていたため、全国津々浦々へ飛田イズムが浸透していったのだと思われます。
前回のブログにも書きましたが、一高が野球道の基礎を育み、飛田先生がそれを確立・普及させたいったというわけです。
そういえば、2008年頃に公開された「ラストゲーム〜最後の早慶戦」という映画に、柄本明さん演じる飛田先生が登場していました。映画のストーリーは、太平洋戦争への学徒出陣が決定し、文部省から早慶戦の中止令が発せされたのですが、学生たちにせめて最後の早慶戦をやらせてやりたいと、慶應大の小泉信三塾長などとともに奔走し、涙の早慶戦を実現とするといったものでした。当時、大学当局は軍部の顔色や世論を気にして、最後の早慶戦の開催には断固反対をしていましたが、飛田先生は「すべては学生たちのために」というお考えのもと、当局の意向に反して強行突破で早慶戦の開催に踏み切った、つまり飛田先生の覚悟の決断がなければ、あの早慶戦はなかったわけです。私は戦争の辛さ、切なさ、そして飛田先生の誰よりも野球を愛する気持ちに心が振るえ、劇場で涙しました。
さて、思うこと。
まず飛田先生は間違ったことをしていたのだろうか?
加えて現代において、「野球道」は時代遅れで抹殺すべき価値観なのか?
それとも形を変えて、後世に受け継いでいくべきものなのか?
ん〜、難しいです(涙)
というわけで、すぐに上手く書けそうにないので、続きは次回に先送り!
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