2013年11月20日水曜日

褒め方って難しい!

子供は褒められると、鼻の穴を大きく膨らませて喜びます。
褒められると、それがきっかけでもっと頑張ろうと張り切ります。

だから最近は、子供は褒めて育てよう!という考えが一般的になってきましたが、実際に現場で指導をしていると、褒める指導にも善し悪しがあるよなあ、と思うんですよね。


その最たる例が、褒められないと頑張れない子です。


褒められないと頑張れない子というのは、大人の顔色をうかがってプレーしているという意味で、高圧的な指導者の顔色を気にしながら野球をやっている子と本質的には変わらないのでは?

と思ってしまうんです。

怒る指導を外発的動機づけと言いますが、褒める指導も立派な外発的動機付けになっていると感じます。


また、結果ばかりを褒めていると、監督は結果を残す僕のことが好きで、結果を出さないと褒めてもらえないという考えをうみ、次第におもいっきりの良いプレーが無くなってしまうのでは?

という点も危惧します。

親がテストの点数ばかりを褒めていると、優等生でなければ親は受け入れてくれないと勘違いし、分からないときにはカンニングをするようになると聞いたことがあります。それと同じですね。


あとは、そもそも、褒めてばかりいると、「このコーチは楽勝!」と思って、ダラダラし始める子が続出!なんてことも一般的によくあります。


とまあ、

褒めろと言われても、中々一筋縄ではないよなあと思うわけです。


そんなわけで、

今日はどんな褒め方が良いのか?という「褒め方」について少し考察してみたいと思います。

(いろんな本を読んでパクった理論多数、でも実践して検証した感想です。悪しからず。)



「プロセスを褒める」

最近よく聞く理論ですが、結果を褒めるのではなく、プロセスを褒めましょう!というアレです。ホームランを打ったという結果ではなく、ホームランを打てたのは素振りを頑張ったからだ!というプロセスを褒めてあげると、良い行動(素振りをする)の再現性が高まるという考え方。

残念ながら我が子はホームランを打ったことがないし、素振りも最近は寒くてやっていないので、偉そうなことは言えません(笑)。でも、この考え方はわかる気がしますね。



「具体的に褒める」

単に「ナイスバッティング!」と褒めるよりも、「上手く上からバットが出たな!OK!」みたいに、具体的にフィードバックしてあげると、その部分に意識がフォーカスされて擦り込み効果が高くなるようです。

「いい挨拶だね」と言うよりは、「相手よりも先に挨拶出来てることが素晴らしいと思うよ」と、より具体的に褒めてあげる。。。次の行動がより鮮明にイメージできるようになる効果があるのでしょうね。


「間接的に褒める」

「監督がお前のこと、いつも元気出してて素晴らしいと褒めてたぞ」と裏でコーチに言ってもらう方法(笑)。野村監督がマスコミを使って選手を褒める方法と一緒ですね。あまり使いすぎると効果が無さそうですし、ちょっと戦略的過ぎて嫌らしい気もしますが、確かにその方が嬉しかったりするのは事実かなと思います。



「質問で褒める」

例えば道具が綺麗に整理整頓されていたとき、「これ、誰が並べたの?」「はい、自分です。」「おー、さすがやね。偉いなあ。」と一見普通な会話風に褒める方法。自然な感じがいい(笑)。わざとらしい褒め方って、子供なりに嘘臭いなあと感じると思うんですよね。



「褒めないで認める」

例えばピッチング練習でコーチがキャッチャーをやるとき、ピッチャーの子が素晴らしい球を投げたら、「ナイスボール!!」と大声で褒めて盛り上げてあげる方法もあると思いますが、逆に無言で軽くうなずいてあげる、みたいなコミュニケーションもありだと思います。自分はこの方法がすごく好きです。

いや、本当に初心者で、あまり上手ではない子の場合は、大袈裟なくらいに褒めてあげた方がいいとは思うんですが、例えばエースの子なんかは、わざとらしく褒めるよりも、「エースを認めているよ」という無言のメッセージとして、軽くうなずき、それが当たり前のような空気を作ってあげた方が、自覚を持って主体的に取り組んでくれるんのではないか?と思うわけです。



「叱ってから褒める」

褒めてばかりの指導には、自分は危うさを感じます。世の中、褒めてくれる人ばかりではありませんし、中学や高校の指導者がどんな方かも分かりませんので、叱られたことの無い子は将来大丈夫かなと心配になります。叱られることも大事な経験ではないかなと。

そんなわけで、自分はバランスを考えながら、ときに雷を落とすように心がけています。その判断基準は、頑張れば簡単に出来ることを、「甘え」が理由でやらなかったとき。たとえば、凡フライを打ち上げて走らないとか、集合がかかっているのに一向に急ごうとしないとか。

そのようなときは、ガツンと雷を落とすわけですが、ただしそれには前提条件があって、必ずそのあとに頑張らせてちゃんとやらせること(成功体験)が大事かなと思うんです。ただガミガミ怒って怒りっぱなし、でも一向に子供は望むような行動をしてくれない。。。そんな悪循環をよく目にしますが、それだと成長しないと思うんです。

怒るなら本気で怒って、その代りに絶対にそれをやらせ、出来たらその頑張りを褒めてあげる。いや、褒めるというよりは、どちらかと言えば「認めてあげる」にニュアンスは近いと思うんですが、

要は、「俺はお前は出来る子だと思ってる。にも関わらずちゃんとやらないから怒ったんだ。やっぱり君は出来る子だよ。だから次からも手を抜かず頑張れよ。期待してるぞ。」という無言のメッセージを伝えることが目的。そのプロセスにおける手段として、ガツンと雷を落とすべきだと思うわけです。ついつい、自分がイライラして怒ってしまいがちですが、「怒ると認めるはワンセット」と考えればうまくいくかな、なんて思います。



「褒めるのではなく喜ぶ」

先日、うちの4年生が人生初ホームランを打ったのですが、指導者としては涙モンに嬉しいわけですよ。褒め方について、ぐだぐだと書いてしまいましたが、そんな小難しいことはどうでも良いんじゃねーの?一緒になって涙目で喜べばそれで十分では?そう思った瞬間でした(笑)。わざとらしい賞賛よりも、コーチが一緒になって心から喜んでくれたという思い出。これが一番の成長のモトではないでしょうかね?


おしまい。。。



2013年11月14日木曜日

『42〜世界を変えた男〜』 野球の素晴らしさをあらためて…

現在公開中の映画、『42〜世界を変えた男〜』を観てきました。

この映画は、黒人初のメジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンの伝記映画です。

彼が活躍したのは1947年からの10年間。当時のメジャーリーグは白人選手しかプレーが許されず、激しい人種差別の中、黒人がメジャーに挑戦することは想像を絶する苦しみの連続だったと思います。

ファンからはブーイングの嵐、相手投手は危険球を連発、激しい殺人スパイク、明らかに偏った審判のジャッジ、遠征先のホテルは宿泊を拒否、チームメイトは同じテーブルでの食事・同じシャワーの使用を拒否、大量の脅迫文が届き、家族も幾度と無く危険な目に合う生活。。。

そんな中、彼は報復を一切せず、常に紳士的な態度を取り、自らのプレーで周囲を黙らせていきます。そしてそんな彼の姿勢が白人の心を徐々に動かしていくです。

最初に動いたのはチームメイトたちでした。彼に対し罵声を浴びせるファンや相手チームから、ロビンソンを守り始めます。それはとても勇気が必要な行動だったと思いますし、そうさせたのもロビンソンの人柄であり、彼の野球に対するひた向きな姿勢だったのではないかと思います。

そんな若者たちの純粋な友情やスポーツマンシップが、徐々にファンの心を動かし、そんなボールパークでの出来事がアメリカ社会全体の黒人に対する偏見を少しずつ変えていく…。

ベースボールというプレーの域を超えて、アメリカ社会を変えるきっかけになった男、それがジャッキー・ロビンソンなんですね。ただただリスペクトです。


写真は大学3年時、アメリカ合宿の際にカリフォルニアのUCLA大学でロビンソンと撮影したものです。







あれから20年近く経った今、少年野球の指導者として、たくさんの悩みを抱えながら日々野球と向き合ってますが、何て自分の悩みは小さいんだろうと思いました。逆に、野球を通じた友情や感動が人々の心を動かすこと、楽天の嶋選手ではありませんが、野球の底力をあらためて再確認したように思います。そして自分のやるべきことは、そんな野球の素晴らしさをひとりの多くの子供たちに伝えていくことであり、それはプレーだけではなく、プレーの域を超えた人と人との繋がりみたいなものなのかなと。これから先、どんな世の中になっていくか想像が出来ませんが、世知辛い世の中だからこそ、スポーツの持つ意味は大きいと感じます。自分に出来ることは微力かもしれませんが、未来の子供たちのために、もっと頑張らなければと思いました。

素晴らしい映画をありがとう!